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勇者

勇者

             桑山 元

 

「なぁ、あれって本当なのかな?」

ハンスがブシャラ酒を傾けながら言った。

「何の話だ?」

サスピシオが面倒くさそうに聞き返す。ハンスが表情を引き締め、重々しく語りだす。

「かの者、終末の世に現れ、人の最も大切なるものを奪い去る。世を混乱に導きて、この世の

ことわりを破壊する。その後、世界は炎の時代を迎える」

「くだらん。単なる迷信だろ」

サスピシオがラピス酒をぐいっと煽り、ジョッキを机に叩きつけるように置いた。

「そんなことばかり言ってるから、お前はいまだに結婚も出来ないんだよ」

「それは関係ねぇだろ! 言い伝えでは2が並ぶ年の3の月。それって今月じゃねぇか」

「そんな言い伝えを真に受けているのか?」

サスピシオは苛立ちを隠せなかった。この手の話題は、ハンスが初めてではない。最近は土曜や

日曜に酒場に繰り出すと、あちこちでこの話題だ。

サスピシオはこういう話をする奴を軽蔑していた。

 

 仮にこの世の終わりがすぐそこにまで迫っていたとして、それが何だというのだ。

終わる時は終わるし、続く時は続く。ただ、それだけではないか。

その終末とやらが何なのかもわからない。第一、誰が言い出したことなのか、出典すらも

はっきりしない。文字で伝えられたのではなく、口伝えで伝承されてきたものだ。

百歩譲って、世界が終わるのが真実だとしても、それは人間の手で回避出来るものなのか?

もし回避出来なければ、考えたり、憂いたり、ことさらに他人と不安感を共有したところで、

それが何の役に立つのだ。

だとすれば、これらの議論は時間の無駄であり、己の無能さをひけらかす行為にしか過ぎない。

 

そんな暇があったら魔法のひとつでも習得するなり、剣技を磨くなり、新しい商売で金を稼ぐ

なりした方がよほどマシだ。

何故、こいつらは、そんな事すらわからないのだろう。だからお前らには金も名誉もないのだ。

もちろん美しい妻も。

「わかってねぇなぁ。バカばっかりだ」

3の月のまだ凍てつく寒さの中、サスピシオは白い息と共にその言葉を吐き出した。

 

「フラーティア、今帰ったぞ」

3秒ほど待つが返事がない。普段ならすぐに返事があり、軽やかな足音が聞こえて扉が開くのに。

「フラーティア? フラーティア、ただいま!」

遠くの方で微かな返事が聞こえる。いつもよりも慌ただしい足音が近寄ってくる。カシャンと

鍵が開き、息を弾ませたフラーティアが扉を開ける。よほど慌てていたのだろう。髪もほつれ、

顔も上気している。

「申し訳ございません、旦那様」

「どうした、何かあったのか?」

「いえ……何も」

部屋に入ると窓が開いている。3月の冷たい風が忍び込んできた。サスピシオを嘲笑うかの

ようにカーテンが揺れていた。

「何故、窓を?」

「すみません、部屋の空気が濁ってしまいましたもので」

見れば部屋の中の家具の位置が微妙にズレている。テーブルも椅子もベッドもクローゼットも。

風系魔法でも使ったのだろうか?

「魔法の研究か?」

「いえ、研究というほど大層なものでは」

サスピシオは以前、フラーティアを叱ったことを思い出した。洗濯した服が乾ききって

いなかったのだ。今日は曇っていたのでと弁明するフラーティアに、言い訳をするなと叱った。

風系魔法ウインザーの応用で洗濯物など幾らでも乾かせる、何故そんなことも出来ないのか、と。

フラーティアは消え入るような声で、魔力が弱くてすみませんと言ったきりだった。

サスピシオはフラーティアに向き直り、ほんの少し表情を緩めた。

「もう寝るから窓を閉めてくれ」

ぶっきらぼうに告げながらもサスピシオは満足であった。人知れず努力する。さすがは私の妻だ。

妙な言い伝えに心乱されて時間を無駄にする輩とは違う。

サスピシオがベッドに入り軽く寝息を立てるのを聞いて、フラーティアは窓の外をうっとりと

眺めた。

 

 翌日もサスピシオは酒場へと出かけた。酒を飲むためではない。民衆を調査するためだ。

明日の月曜からは、また王宮勤めが始まる。下級事務官といえど民衆の動向を把握して

おかなければ、王の意向に沿った政策は立案出来ない。

昨日とは違う酒場に行くが、さすが土日。どこの酒場も混んでいる。

「そうやってバカにしている奴に限って、世界の終わりが来たら真っ先に慌てふためくもんさ」

向こうのテーブルで取っ組み合いのケンカが始まった。サスピシオは舌打ちをした。

今日は誰とも話をする気になれなかった。窓際に座り、一人窓の外を眺めながら飲んでいた。

ラピス酒を4杯飲み、より強いブシャラ酒を半分飲んだ時だった。向こうの建物に妙な違和感を

感じた。

窓が開いてカーテンが揺らめいている。今日も昨日と同様、まだ屋外では吐く息が白い。

何故、窓を?

次の瞬間、サスピシオは我が目を疑った。窓から人影が逃げ去ろうとしている。

焦点が合いにくくなった目を必死に凝らす。細身で長身。男性のようだ。

髪はサスピシオのような金髪ではなく、闇に溶け込んだような漆黒。

「まさか……賊?」

下級事務官とはいえ、王宮に仕える者である。賊を発見しておいて見逃すことは出来ない。

サスピシオは残り半分のブシャラ酒を一気に煽り、手早く会計を済ませて、慎重に気配を殺し

賊を追った。

賊は2ブロック先の家の窓をひょいと覗くとコンコンと窓をノックした。窓が開く。

女が顔を出す。何か2~3言会話をしているようだ。女が身をよじる。女の手招きに応じて、

賊は軽やかに窓の中へと消えた。

ここは賊のアジトなのかもしれない。サスピシオは気配を殺したまま、窓の下に潜んだ。

 

「ねぇ、じらさないで」

「早くしないと旦那が帰ってきちゃう、か?」

若々しい透明感のある声が含み笑いをしている。

「もう、意地悪なんだか、あっ!! う、うぅ……」

若い女の声が徐々に獣のそれに変わっていく。サスピシオが今まで聞いたことのないリズムで

ベッドがきしむ。それに合わせて、むせび泣くような獣の声は更に熱を増しながら大きくなって

いった。

不定期に聞こえるチュパっと何かを吸い上げる音、断続的に聞こえる肉を叩く音。

獣の声だったそれが、艶を濃くして女の声に戻り、言葉にならない言葉が垂れ流される。

時が止まったような沈黙の後、重い荷物をベッドに投げ出したような音。そして、全力疾走後の

息遣い。

シュルシュルと布のこすれる音に、まだ息の整わない女が話しかける。

「次はいつ会えるの?」

「さぁね、僕は土日の週末に気の向いたところに行くだけさ」

「ねぇ、名前くらい教えてよ」

「本当に必要なのは僕の名前? それとも……」

「もう、意地悪!!」

軽い笑い声とともに気配が窓に近づいてくる。サスピシオは慌ててその場を離れ身を隠した。

男は軽やかな跳躍で窓の外へと舞い降りた。

サスピシオは何も考えることが出来ず窓辺の女を眺めていた。

半裸のまま、うっとりするような眼差しで窓の外を眺める女を。

 

1ヶ月後には、都でその男のことを知らない者はいなかった。多くの者が自分の大事な人の

貞操を奪い去られていた。

実際には何倍もの人間が被害に遭っているのだろうとサスピシオは思った。

自分の妻が寝取られたとは恥ずかしくて言えずにいるサスピシオのような者が。

 

2ヶ月後には、模倣犯が出現したようだった。どう考えても物理的に1人では成しえない数の

寝取られが一晩で発生していた。

都の人々は当初その男たちを「魔性の男」「魔王」などと呼んでいたが、この頃から「マ男」で

統一され始めた。

 

3ヶ月後には、女から男を訪ね行為に及ぶ者も出てきた。女たちは「マ女」と呼ばれた。

知り合いが「マ女」していることを「奥様はマ女」、玄関先で「マ女」が口説いていることを

「マ女の宅急便」などと呼んだ。

 

4ヶ月後には、人々の意識が変わってきた。寝取られた者は被害者、寝取った者は悪者だったのが、寝取られた者は努力不足、寝取った者は魅力ある人と言われるようになった。

一部では「倫理や道徳が破壊され、世界は混乱だ」と嘆く者もいたが、大多数はその価値観を

受け入れた。

 

5ヶ月後には、皆が「どうすれば愛する人をマ男から守り、自分がマ男側に回れるか」を真剣に

考えるようになった。皆が勝ち組を目指していた。

 

6ヶ月後には、勝ち組へのノウハウが確立された。他人から見て魅力的な人間になること。

突き詰めた結果、それは「一生懸命な姿」だと気づいた。男女を問わず、一生懸命に仕事をし、

大事な人を愛し、魔法の習得や剣技の修練、商売に精を出した。大事なのは炎のような情熱で

あった。

 

7ヶ月後には、マ男は激減した。皆が守りながら攻めるため、よほど突出していない限り、

マ男側にはなれなかった。

少数精鋭のマ男側の研究が数多くなされ、「相手の求めていること」「相手の気持ちを掌握出来る

こと」「相手の気持ちを揺さぶり感動を与えられること」だとする研究結果が発表された。

人々は競ってその方法を極めようと努力した。その結果、国全体が思いやりがあり、生産性が

以前とは比べ物にならないほど向上。情熱溢れるこの時代を、人々は炎の時代と呼んだ。

 

土曜日、ハンスとサスピシオは酒場で久々に酒を酌み交わしていた。

「そんなことだから、お前はいつまでもマ男になれねぇんだよ」

ハンスがブシャラ酒を飲み干し、勢いよくジョッキを机に叩き置いた。

「でも、私には何も……」

「そんな落ち込んでる暇があるなら、人の気持ちを勉強しろ。お前が落ち込んでるのを見て、

俺が喜ぶとでも思ったのか? それこそ時間の無駄だ」

サスピシオは「そうだな」と呟いた。

「かの者、週末の夜に現れ、人の最も大切なる者を奪い去る。世を混乱に導きて、この世の

ことわりを破壊する。その後、世界は炎の時代を迎える……。お前の言った通りだったな」

「だ~か~ら~、そういう過去をグチグチ反省しても何の役にも立たねぇんだって。時間の

無駄だよ!!」

 

8か月経った頃、王はこの世界を劇的に変えた出来事として、マ男が土/日にしたことを

 

高く評価し、マ男を「勇者」と名づけた。

 

(了)

 

 

 

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コメント: 5
  • #1

    叶彩乃 (日曜日, 12 4月 2020 14:26)

    テンポがよくてとても読みかったです。月日を追うごとに変化していく人々の深層心理と、炎の時代の解釈がビジネス書のようで面白かったです。多分中世?あたりの時代、ハンスという名前はあるあるだと思ったんですが、サスピシオが気になってググってしまいました(笑。
    ところで、マ男は人間だったんでしょうか?

  • #2

    坂本ケイコ (日曜日, 12 4月 2020 18:03)

    オチが良かったです。
    マ 男=勇 土/日=者
    そして今の世相と類似しているような気がしました。
    男は土日を大切にしましょう!
    これからはステキな世の中になりますね。

  • #3

    直島ヨーコ (月曜日, 13 4月 2020 23:49)

    魔法を使えそうな世界でどうしたらマ男に対抗できるか研究されていくくだりが可笑しかった。
    人や酒の名前が独特の雰囲気を出しています。マ男の行為がまさか情熱あふれる時代にまで発展するとは。
    マ 男=勇 土/日=者には驚きました!しかけがまだ見つかるか読み直してしまいました。

  • #4

    龍ひかる (水曜日, 15 4月 2020 22:43)

    今晩は、楽しく読ませて頂きました。
    冒頭に時代背景があり、神話による疑問を解き明かす運びも素晴らしいです。
    そして、時代背景に国の文化を知らされ男女の感情を密かに表した作品だと思いました。
    時代や国に関係なく男女の関係には不倫が存在すり現実を感じました。
    冒頭の神話から最後の結末にいたる生き方を感じました。
    ありがとうございます。

  • #5

    何回かよんでしまいました (木曜日, 16 4月 2020 22:49)

    マ男+土日で勇者は3回ぐらい行き来して、やっと理解しました。
    1か月目~7か月目までで、非常識と常識が反転してしまうところとか、
    今おこっていることのような気もします。
    面白かった~