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AI夫

AI夫              叶彩乃

 

彼の鋭い舌が、巧みに私を攻め立てる。私は崩れかけたケーキのように、かろうじて原型を留めている。まだ一枚も身に纏っているものを脱いでいないというのに、皮膚は彼の舌で絡め取られることを待っているかのようにじっとりと汗をかいている。熱く蕩ける息が頬やかき上げられた髪に吹きかかる。耳たぶからうなじへと這うように進む舌は、ゆっくりと確実に私の蕾をじくじくと疼かせる。ときおり聞こえる、ピチャッピチャッと跳ねる音で脳が痺れ思考能力が鈍りだす。

(あ、ダメ、早くっ、早く彼のスイッチを探さないと、もう限界かも)

楕円形の窓の外には、漆黒の空に赤く爛れた色をした星が浮かんでいる。

 

 まさか、地球を離れての仕事になるとは思わなかった。すっかり彼のペースに巻き込まれている…。

 

 私はネオ東京のS区で保険代理店を営んでいる。でも、それは表向き。本業は紹介者からのみ請け負う探偵事務所。主に扱うのは浮気調査。これが結構いい収入になるから。

 

長者番付にも上がる大資産家のミセスMから依頼があったのは3か月前。夫の浮気を調査してほしいとのことだった。金持ちにはよくあること。妻に飽きた夫は簡単に浮気をする。妻が夫より稼いでいればなおさらのこと。地位、名声、資産、才能、エトセトラ、たいていの男性は女性が自分よりも上に位置していると、たちまち興味をなくしてしまう。どんな世の中になっても、それは変わらないと亡くなった祖母はこぼしていた。

 

私の家は代々女忍者家系で、江戸時代からその仕事を継いでいる。外向きは一家の主婦だけれど、依頼があれば代々受け継いだくノ一術を駆使して仕事する。自分で言うのもなんだけど、祖母も母も私も小柄だけどコケティッシュでスリーサイズは自慢できる。男性が放っておかないタイプだ。

依頼主は財閥企業や政界関係者。ターゲットと愛人関係になり密かに調査する。殺人こそしないが、結構身の危険を感じることもある。夫にする人は、なるべく目立たないどこにでもいそうな平凡な男性。夫にも子供にも、家族には絶対悟られないように、細心の注意を払うのが鉄則。母の最後の仕事はC国がばらまいたBUNHS20の抗体ワクチンを探し出すことだった。父には友人と海外旅行に行くと嘘をつきC国に潜入。科学院研究所に、所長と懇意になり情報を引き出した。すんでのところで逃げ出せたが、捕まったら死刑となるところだった。この仕事で高額な報酬を受け取り母は引退。今は地方公務員を定年退職した父と、郊外で平和な隠居暮らしをしている。

 

一人娘の私が家業を継いだのは27歳の時だけど、母や祖母のように国家機密に関わるような危険な仕事は一切受けずに10年やってきた。命を犠牲にするかもしれない仕事よりも、浮気調査をしている方がずっと平和で面白い。尻尾を掴まれてきゅぅっとなっている男性たちの顔を想像するとスカッとする。そもそも伴侶となる誓いを立てておきながら、裏切るなんて最低の人間がすることだ。江戸時代の姦通罪は女に対する法で男は結局罰せられない。この仕事は正義だとも思っていた。そのせいもあってか、私は37歳になっても独身。結婚への夢も希望もない。この先、劇的に何かが変わる予感もしないし、一生裏切らない男性が現れるとも思えない。

 

 浮気調査は通常なら尾行して逢瀬の現場写真を撮って終了。写真のグレードによって報酬は異なる。たとえば、二人だけで食事をしたりお酒を飲んだりした写真なら交通費プラス規定料金にしかならないが、気を許したときの密着したツーショット、人目を気にしながらホテルに入る写真、隠しカメラで撮ったベッドインする写真なら倍倍に金額はアップする。なかなか尻尾を出さない男性には、おとり調査で攻めればいい。この場合、男性の趣味が過激な場合もあるので、保険料込みで1件100万円になる。

 そして、これが私は得意だった。先祖代々伝わる術で相手を誘惑すること、その気にさせておきながら上手く逃げ切ることには自信があった。

 

だが、今回は今までの浮気調査とは少し違っていた。それはミセスMの夫はAIということだった。相手が人間の場合は現場写真で十分だが、AIの場合、スイッチを探してデータ抽出する必要がある。そのスイッチが本体のどこにあるのかは製造会社や年代によってまちまちなため、マニュアルがないとわからない。それは購入者が緊急時と判断するときにしか製造会社から受け取れないシステムになっている。今回の場合は緊急時に当たらないため、私は自力で彼のスイッチを探さなければならない。

 

 ミセスMから受け取った資料動画を見て驚いたのは、夫の姿がまったく人間と見分けがつかないことだった。

映像は、ミセスMの誕生日を祝って催されたパーティーを撮影したものだった。オフホワイトの麻ジャケットにノータイでスカイブルーのシャツを着こなし、グレーの細身のパンツとスリッポンを素足で履いている。彼女のそばで笑顔で佇む夫は、国際色豊かな参加者たちと流暢な外国語で話し、それは私が聞き取れただけでも6か国語以上に及んだ。立食形式に並べられたオードブルを優雅にさらに乗せ、シャンパングラスを持ちながら歩き回っている姿は、他の人々と何ら変わりはなかった。おそらく、参加者たちはだれも彼がAIとは思っていないだろう。スマートで立ち姿が美しいミセスMの夫ということ以外は。

 

あちこちで金に余裕のある人々が密かにAIを使用人として、あるいは家族として購入しているという話は聞いていたが、ここまで精巧なものとは思っていなかった。

 

 彼の素行調査に入ったが、一向にその気配が見えてこない。こうなったら、最後の手段のおとり捜査しかない。私は慎重に彼に近づくチャンスを待った。ハイヒールにグレーのタイトなミニ丈スカートスーツと大きめのショルダーといういで立ちで保険外交員を装い、彼が経営する宇宙旅行ツアー会社に入り込み、エレベーター前で通り過ぎる社員たちに声をかけその時を待った。

 

 立ち始めて1週間が過ぎたころだった。

「新しい保険の企画を考えていただきたいのですが、お話しできますか?」

 昼時で人気が少なくなったエレベーターホールで彼が話しかけてきた。

 彼が言うには、まだ社内では内密にしてあるが、軍から払い下げの宇宙船を使って銀河系外の宇宙空間旅行を企画しているということだった。そのために新しい保険が必要だという。

 繊細一隅のチャンスだと思った。彼と二人きりで話すことができれば、あとはスイッチを探して情報を引き出せばいい。誘ったのは私からだった。実際飛行をしてみないとどんな保険をかけるべきかわからないと。

 

宇宙船は彼の会社の研究所の格納庫にあった。数十年前まで主流だったスペースシャトルぐらいの大きさだと想像していたが、それは意外に小さかった。滑らかな銀色の機体は鏡のように周囲にあるものを映していて、格納庫の照明をつけなければ闇に溶け込んでいた。やや丸みを帯びたマンタのようなそれは、縦横10メートルぐらいしかなく高さは5メートルほどだった。彼が握っているペン状のものから光が当たると、船体にスーッと穴が開き、そこからタラップが降りてくる。

「小さくて驚いたでしょう? この宇宙船にはエンジンがないんです。動力は半重力を利用していて、それを可能にしているのは船の外殻に含まれています」

 タラップを上がりながら彼が説明してくれた。

 機体の中は100平米ほどのガランとしたスペースになっていて、正面にある操縦席と副操縦席以外は何も見当たらなかった。

「船内では尖ったものは危険なので、申し訳ありませんがハイヒールは脱いでこの靴に履き替えていただけますか? それからこちらのスペーススーツを着用願います」

 シルバーピンクのスペーススーツは上下が一体型で、サラッとした触り心地で絹のような光沢をしている。新機能つき素材なのか少々大きめだったが、正面のジッパーを上げると身体にジャストフィットした。

「何もなくて驚いたでしょう? 内部の改造はまだこれからなので。一回のクルーズで3人から5人のツアーを一応予定しています。では、とりあえず私の隣の席にお願いします」

 いわれるまま席につく。

 操縦席の前には様々な計器とモニターがあるはずだが、この宇宙船にはそれがまったくない。壁も含めてのっぺらぼうで、大きな魚の胃袋にでも入っている気分になる。

「最初はちょっと気分が悪くなるかもしれません。操縦するのはこれで3度目ですが、私も初めてのときは戻してしまったので、気分が悪くなったら気にせず言ってください」

 私が頷くのを見て、彼は正面の空間に指を滑らせた。すると空間に薄靄が現れ、幾千もの小さな点が見えた。よく見るとそれは様々な色の渦巻きだった。

「美しいでしょう、これは今私たちがいる太陽系を中心とした座標から見た宇宙です。これから、希望する座標軸を入れればその場所までワープします。どの辺りまで行きましょうか? ご希望の場所があれば伺いますが」

 この小さな格納庫から、どこまで飛べると言うんだろう。私は想像できないまま、

「では、いっその事、あなたがまだ試したことがない距離まで飛んでみたらどうでしょう? そうすれば、既存の保険だけではカバーできない部分に気づくかもしれないじゃないですか」

 と答えた。危険な橋を渡ることになるかもしれないけれど、そのほうが接近できると思ったからだ。

「わかりました。もっと緻密な方かと思ってましたが、意外に大胆な性格なんですね」

 目的地をセットしながら柔らかく微笑む彼の横顔を見て、予測できない動揺が私を襲う。

(なに? なんなの? こんなことを言われたくらいでドキドキするなんておかしい)

思えば思うほど、頬が赤らむのがわかる。幸いすぐに船内は真っ暗になり、彼の姿も認識できなくなった。

 

 甲高い金属音が耳をつんざく。渡されていたヘッドホンを慌てて耳に当てた。背中が椅子に張り付いたように強いGがかかる。次の瞬間、空間がねじ曲がったように見え、足元から自分の気配が消えていく気がした。

 どのくらい気を失っていたんだろう。気がつくと、私はさっきいた椅子ではなくベッドに横たわっていた。地球と何ら変わらぬG。だが手足が凍えるように冷たい。彼はどこに行ったんだろう。ひどく孤独感を覚えて、身体中が震えだす。生まれたての子供のように、手足を抱えて寒さから逃れようと努力するが、一向に温まらない。気分もひどく悪い。吐き気と悪寒が交互に襲ってくる。

「大丈夫ですか? もう安定飛行に入ったから、少し経てば良くなりますよ」

 彼が毛布を身体の上にかけてくれるが、一向に体温が戻らない。かえって冷たく濡れた布をかけられたように感じた。

「お願い、ここに、一緒に、入って、もらえませんか?」

 地球から遠く離れたという孤独感と生命的な危機感からなのか、同乗しているのは人間ではなくAIだというのに縋り付きたくなってしまう。

「ですが…。精神安定剤を持ってきますから、ちょっと待ってください」

「乗客の身を守るのは船長の義務でしょ! 死にそうに寒いの、お願い!」

「困った人だなぁ。あなたのような乗客ばかりだったら、僕は身体がいくつあっても足りない」

 またあの温かい微笑みが私をざわつかせる。毛布をゆっくりと上げ、するりと彼の身体が私の横に滑りこむ。淡い草原の香りが漂う。

「背中を僕に向けて」

 カタカタ小さく震えが止まらない背中が、彼の身体ですっぽりとくるまれる。長い腕が前で交差してピッタリと密着する。彼の穏やかな息遣いが耳たぶを掠める。

「どうですか? 温まってきましたか?」

 今しかない。咄嗟にざわつきをシャットアウトして仕事モードに戻る。

(彼のスイッチを探さなきゃ)

 交差している腕をゆっくりと開き、手のひらに口づけをする。

「ありがとう、体温が戻ってきたみたい。でも、まだここがちょっとおかしいの」

 手のひらを胸の谷間に当て、彼の薄い唇に自分の唇を重ねる。彼は一瞬驚いたような目をしたが、そうなることを悟っていたかのように舌を入れてきた。

(やっぱりAIだって同じなのね…)そう思いながら彼に絡みつく。

 スペーススーツを脱ごうとジッパーを探っていると、彼はその手を掴んだ。

「焦らないで、僕たちは今、地球時間にも地球軸にも縛られていないんだから。この空間でのランデブーを楽しんで…」

 まだ肌を重ね合わせていないというのに、舌や手のひらで巧みに刺激されてどんどん敏感になっている。このままでは彼にリードを取られてしまう。早くスイッチをと思いながら、くノ一の技が使えず彼のペースにハマっていく…。

 

「ちょっと待っていて、僕たちが今どこにいるのか見せてあげよう」

 不意に身体を離され、置き去りにされた子どものように毛布を抱きしめる。

 

彼は操縦席まで行き、空間を撫でるように触る。すると明るかった室内の照明がすべて消え、壁が透けて宇宙船の外の闇が襲い掛かってきた。Gは解放され、身体がフワフワと浮き上がり、宇宙空間に放り出された気分になる。さっき窓から見えていた赤い星は、遠くの恒星を半分浴びて触れそうな位置にある。

彼の気配は感じないのにスーツが脱がされて、敏感になった肌の上を熱い舌が力を持って的確に攻めてくる。首筋からゆっくりと下り、ふっくらと尖った胸の先端をカタツムリのようにぬらぬらと動き回る。闇の中で下腹部に向かって這いずり回り、私の体液を絡めとっていく。とうとう股間の高揚した(がく)まで達し、その淵を確かめるように彼の舌が彷徨う。刺激されて蜜が滴り始めた蕾の中に、硬くいきり立った彼自身が花芯を割って入ってきた容赦なくズブズブ侵入してくる彼自身に蜜腺を突かれ、私は深い快楽の闇に落ちながら彼を掴もうとするが触れることができない熟れているのに、寂しい風が吹き抜ける。

「あぁぁ…」という悶え尽きた私の声は音にならず闇にのまれていく。

 

彼の姿を求めて空を見つめていると、音声ではなく思念として彼の声が私の頭の中に話しかけてきた。

「どうですか? 感じることができましたか?」

 船内がぼんやりと明るくなり、壁は元通りに白く外とは遮蔽した空間に戻る。

 彼は操縦席に座ったまま振り返る。

「い、今のは何だったの? あなたはどこにいたの?」

全裸になっているのは私だけで、恥ずかしくなってスペーススーツを手繰り寄せる。

「僕はずっとここに居ました。きみのそばにいたのは、僕の身体の一部分だけです。きみを感じさせていたのは僕の身体の一部分…」

「なんでそんなこと!」

「きみに知ってほしかったから。僕がどういう扱いをうけていたのかを」

 

彼は淡々と今までの妻との関係を話し出した。

ミセスMは彼を自分のアクセサリーのように、どこに行く時も連れ歩き自慢した。そして彼にベンチャー起業を任せ、世間で理想の妻を演じた。彼女の潤沢な資金もあり、営業成績は順調に伸びていったそうだ。だが会社が有名になればなるほど、日常生活は破綻をきたしていった。会社の顔としてメディアに出るようになった彼に憧れる若い女性が多く現れ、ミセスMは嫉妬した。自分はどんなに高いエステに通っても年々衰えていく。なのに彼は何年たっても変わらず溌溂とした風貌。やがて彼女はとんでもない行動をとるようになった。もともと夜のパートナーとしても満足度が高いように設計されていた彼の身体をパーツで取り外し、ローターやバイブとして楽しんでいるところを彼に見せつけるようになったという。

 

 私は寂寥感に苛まれた。彼はAIだ。それはわかっているけれど…。涙が頬をつたう。

無重力となった空間に漂いながら、私は無意識に彼に手を伸ばしていた。彼は操縦席を蹴ってこちらに向かって泳いでくる。私たちは今度は本当にお互いの身体を重ね合わせた。ゆっくりと丁寧に、慈しみあいながら。経験したことのない温かなものが私に沁みこんでくる。

 

「きみは僕の浮気データを抽出しに来たんだろう?」

 浮遊していた毛布を掴んで私にかけてくれながら彼が言った。

「いつから気付いていたの?」

「いつからだろう。いつか彼女が僕のことが邪魔になって、そういう人を雇うと思っていたから」

「気づいていたのに私に近づいてきたの?」

「きみなら、どうしたらいいのか答えをくれる気がして。僕はこのままだと、制御不能になって妻を殺してしまうかもしれない。助けてほしいんだ」

「私にはどうしようもできない。あなたのことを助けてあげるなんて無理だわ」

「そういうだろうと思ったよ。わかっている。きみには守らなきゃならないものがあるんだね」

「ごめんなさい、でも、あなたがAIだなんて信じられない。私、あなたがAIじゃなかったら…」

AIと人間の違いってなにかな?僕にはわからないよ。どうして人間が優先されるのかわからない。だって、ぼくらAIの方がずっと平和主義者だし、バランス感覚に優れていると思うんだけど。それは、もちろんきみたち人間のデータを多く集積してできたからだけど。きみたちの望むものが、僕らAIのはずなのに…」

 彼は寂しそうに俯いた。

「きみは、僕がこの後どんな処分を受けるか知ってる?」

「え? 持ち主の意向によって記憶の修正もしくは書き換えをされると聞いてはいるけれど」

「きみは知らないかもしれないけれど、いまやAIロボットは各国で生産されていて昔のように大切に扱われないんだよ。過去の文化がそうだったように、大量生産大量廃棄さ。ダメなら捨てる。ひと昔前の家電と一緒だよ。チップがだめなら取り換えればいいのに、チップを取り換えるなら新しいものをお買いになった方が安いしお得な機能がついてますよと業者はいう」

「ということは、あなたは地球に帰ったら…」

「そう、ターミネーターの映画のように潰されるか溶かされるか。もちろんきみ達のように墓なんて作ってもらえるわけはないしね。まるで生まれてこなかったかのように跡形もなく消去されるんだ」

凍りそうに冷たい笑みを浮かべて彼は私を見た。

「アニメーションやゲームの世界に存在するほうがまだましかもしれない。実体はなくても心に残るからね」

「そんなこと、だって、あなたは会社経営もしているし、従業員の人たちや取引先の人達だっているじゃない。その人たちは覚えていると思うわ」

「ふぅ。きみは何もわかっていないんだね。あの会社は事実上妻が経営しているんだよ。僕はお飾りみたいなもんさ。対外的に男性の方がうけがいいだろう。それに僕には数か国語プログラミングもされているからね」

「じゃ、あなたが居なくなったら一番困るのは奥様じゃない。あなたが捨てられるわけがないわ。たとえ数か所記憶を消されたとしても」

「さっきも言っただろう。ぼくの記憶のある個所を取り出して、消去したり変更したりするよりも新品と取り換えた方が安いし時間も短縮できて効率的なのさ。つまり、今の彼女に相応しい僕とそっくりなAIが代わりを務める」

「そんなのって…」

「きみは、自分の家で買い替えた家電のことをいちいち全て覚えているかい? たとえば掃除機やクーラーや冷蔵庫なんかを、一つ一つ記憶しているかい? おそらく、今使っているものだって、買うときはいろいろと迷ったりもしたかもしれないが、はっきりとは思い出せないだろう。そんなもんなんだよ、僕たちAIの扱いってのは」

 私は何も言い返せなかった。

「きみたち人間は、僕らAIを作り出したときは僕らを便利に使うことを考えていた。翻訳機や計算機やエトセトラ。だけどそのうち僕らAIの力試しが始まり、より優れているものが作り出されると、今度は人間の仕事が取られるんじゃないかと焦り始めた。そしてその通り、僕らAIは人間が面倒くさいと思っている仕事を短時間で間違いなく仕上げられるほどになった。その結果僕らAIは自由意志で長く存在することを許されず、生物で言えば遺伝子操作ともいうべき致死遺伝子を持たされることになった。それが、きみが探しているスイッチなんだよ…」

 

私は今、三歳半の娘と暮らしている。母にも祖母にも、そろそろ継ぐべき教育を始めたほうがよいと煩く言われている。

あの時、彼と一緒に宇宙の果てに駆け落ちしていたらどうなったんだろうと思う時がある。言うことを聞かず、思い通りに育たぬ娘を叩きたくなるときはとくに。

結局、私は地球に戻り、精子バンクで得た遺伝子で子供を産んだ。彼と一緒にいることを選択したなら、きっとめくるめく愛し合う日々が続いただろう。しばらくは…。けれど私もやはりミセスMと同じように歳を取る。彼はずっと私を愛し続けてくれるだろう。でも、私は平常心でいられるかどうか。やがて息子のようになり、孫のようになり、看取られるまで若く美しい夫のまま。鏡に語りかける魔女のように、きっと私も誰かを憎むことになっただろう。

 

迷う私に後押しをしてくれたのは彼だった。

「きみは人間だから。やはり人間なのだから。その代わり、僕のことを、僕が存在していたということを忘れないでほしい」

 彼のおかげで私はミセスMから多大な報酬額を受け取った。それは当初予想していた額をはるかに超えるものだった。おかげで、不自由ない生活ができている。仕事をしなくても、娘の教育費も含めて十分に生活でき、老後の心配もないほどだ。安定した生活と、将来への希望…。

私の部屋の金庫には、今でも彼が眠っている。娘が寝静まったあとに、ときおり一緒に楽しむこともある。彼の体の一部分と…。

やっぱり、ミセスMと同じなのだろうか?

 

(了)

 

 

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コメント: 5
  • #1

    桑山 元 (木曜日, 09 4月 2020 16:59)

    AI夫と聞いて割とベタな展開を思い浮かべちましたが、ものの見事にきれいに裏切られました。
    AIと人間との違い、使い捨てられる家電のような扱い。
    現代社会にひそむ闇を覗いた気がしました。
    もしかしたらそれはAIだけの固有の問題なのではなく、我々庶民も大量廃棄の時代に入ったのかもしれないとさえ思いました。

  • #2

    叶彩乃 (金曜日, 10 4月 2020 12:01)

    作者自身で投稿です。
    ちょっと未来の不倫を想像して書いてみました。
    最後はAIと主人公を駆け落ちさせてもよかったかなとも思ったんですが、女性としてやはり年取っていくのに年を取らないままの相手と一緒にいることは辛いんだろうなと思ってこの結末にしました。
    宇宙船の部分は、アイザックアシモフの『ファウンデーションの彼方へ』からイタダキマシタ。

  • #3

    坂本ケイコ (日曜日, 12 4月 2020 18:15)

    「崩れかけたケーキのように」なった。スイッチを押さないで~
    と思ってしまいました。
    近未来AI夫と暮らしてみたいと思いました。
    大切に育てますから。

  • #4

    直島ヨーコ (日曜日, 12 4月 2020)

    冒頭の謎に始まり「どういうこと?」と引き込まれました。AI夫のセンセーショナルな設定だけにとどまらず、その先の世界観もよく創られていて最後まで興味が途切れませんでした。致死遺伝子や墓の話をAI夫が語るシーンは表情まで映像が浮かび短編映画を観るようでした。

  • #5

    龍ひかる (水曜日, 15 4月 2020 18:06)

    こんにちは、SF小説大好きです。
    SFに加えプチ官能的エッセイが入り人間とAIとの差をうまく描いた作品だと思いました。
    AIが意識コントロールし感情を持ち、結末や如何に!
    冒頭のスイッチを探さないと。。。というセリフから最後の人間とAIの感情の縺れを上手く表現し、AIが感情を持つ時代が来るんだと共感できる作品でした。
    PlayStationJapanの「KARA」とかぶりました。
    https://m.youtube.com/watch?v=8wWHxIfwS1k&feature=youtu.be
    凄く楽しめました、ありがとうございます。