第6回原石大賞は、坂本ケイコさんの作品『選ばれた女』が受賞しました!
坂本さんには記念の盾をお贈りいたしました!!
選 ば れ た 女
坂 本 ケイコ
あまり外出が好きでないからなるべく出かけないようにしていた。仕事は在宅でプログラマーをしているでのでパソコンがあればよい。買い物もほとんどネットで買っているので、たまに近くのコンビニに行くぐらいだ。だからここ一年ほど電車にも乗っていない。
それなのに一週間ぐらい前から目が赤くなって痛くなった。市販の目薬をつけても治らないので、電車で一駅先の総合病院に行くことにした。
目を診てもらうことよりも、服を着替えて靴を履き、電車に乗らなければならないことのほうがよっぽど苦痛だ。なにしろいつも寝間着代わりのジャージに、真冬でも裸足でこたつと仲よくしているのだから。
たまに訪ねてくる母に「早く子供を産まないと高齢出産も出来なくなるんだから」と言われるが、「高齢出産って40過ぎでしょ? まだあと2年あります。今から結婚してすぐ産めば大丈夫!」と言うと、「だいたい身だしなみが整ってない、もっと身ぎれいにしないと、まったく誰に似たのかしら」
呆れられるのにはもう慣れっこだが、おしゃれに興味が湧かないのだから仕方ない。
美容院にも行かず自分で切った髪型は、あまりにもみっともないので、タンスの隅から引っ張り出した毛糸の帽子をかぶった。一本しか持っていないジーパンをはき、流行おくれのジャケットに毛玉だらけの靴下を履いて、いつ買ったかもおぼえていない薄汚れたスニーカーを履いて駅まで歩いた。
久しぶりに駅の改札を通りながらドキドキしてしまった。ホームに立ち、電車に乗ってからも落ち着かない、車内は空いていたのだが座らなかった。
総合病院の眼科では結膜炎と診断された。
駅からの帰りポケットに手をつっこみ、コンビニであつあつの肉まんでも買って帰ろうなどと思いながらうつむいて歩いていた。ふと歩道に黒い財布が落ちているのを見つけた。男物の二つ折りの札入れだ。私はすぐにあたりを見回したが、だれもその財布に気をとめるようすはなかった。なぜだか私はすばやくその財布を拾ってジャケットのポケットに入れた。
そのままコンビニによって、あつあつの肉まんを三個買った。肉まんで手を温めながら急いで歩いた。
築何年ぐらいだろうアパートの鉄の階段をコンコンとリズミカルな音をたてて上がって、202号の自分の部屋に入った。ヒーターを入れてこたつに入り、すぐに肉まんを頬張った。食べ終わるとこたつで眠った。
目を覚ますと外は暗くなっていた。おもいっきり伸びをしてからカーテンを引き電気をつけこたつに入ろうと思ったとき、結膜炎の目薬をつけなければと手提げの中から薬を取り出した。そのとき黒い財布を拾ったことを思い出したのでジャケットのポケットから財布を取り出し卓の上に置いた。
そーっと財布をひらいてみると、一万円札が十枚入っていた。これは警察に届けなければダメだろうなと思ったが、交番に行くのが面倒くさいなぁと思った。
しかし、十万円も入っている財布に興味がわいたので、中のカードを改めてみた。
「オオタ シンジロウか…」
金額と財布の質からして若い男ではないだろうという想像はできたが、その他の情報は得られなかった。
思わず拾ってしまったが、やっかいなことになってしまったような気がした。だが財布を引き出しにしまってしまうとほっとしたような気分になり、仕事のためにパソコンに向かった。
その日、夜中にパッと目が醒めてしまった。何度となく寝返りを打ちながら、昼間電車なんかに乗ったからだろうか? そのうえ財布なんか拾ったりしたからか? と考えていたら眠れなくなってしまった。
しばらくすると、アパートの鉄の階段をトーン、トーン、トーンとゆっくり上がってくる靴音が聞こえてきた。耳を澄まして聞いていると、その靴音はとなりの部屋のОŁのパンプスの音とはちがう、ましてや二階の奥部屋の学生の靴音ともちがう。もしかしたら隣の部屋への来訪者か? そう思っていると靴音は、この部屋のドアの前で止まった。ぎょっとして起き上がりチャイムが鳴るのを待ちかまえた。
数分間待ったが、チャイムは鳴らなかった。思い切って電気をつけ、玄関ドアに近づいた。
するとその靴音はまたトーン、トーン、トーンと階段をおりていった。
私は両手で口をふさぎ、心臓がバクバクするのを感じていた。
「ストーカー? でも私をストーカーする男なんているの? いやーこのごろ変な人がいるからなぁ、そういえばこの前洗濯物を盗まれたじゃない。やだ、どうしよう」
明け方やっと眠ることができた。
次の日も仕事に追われて交番に行くことができなかった。
夜、布団に入ってから、昨夜の恐怖を思いだして眠れなくなってしまった。ため息をついて寝返りをうったとき、またあのトーン、トーン、という靴音が聞こえてきた。そしてドアの前で止まった。身じろぎせず耳をすます。数分後、また靴音はトーン、トーンと階段をおりた。その音は闇夜にいちだんと響きわたった。
いくらずぼらな私でもさすがにことの重大さを感じ、独身仲間に電話をかけた。
「恐いね。ちゃんと鍵をかけてね。何かあったら夜中でもいいからすぐに電話ちょうだいね。続くようだったら警察に相談したほうがいいよ」
と言われた。
次の日は仕事がはかどらず、警察に行く暇がなかった。
夜になって案のじょう靴音が聞こえてきたので、恐怖はやりすごすしかないと耳をふさいだ。ところがピンポーンとチャイムが鳴ったのだ。とっさに出てはいけないと思ったのに、足が勝手に動き出し、ドアチェーンを掛けたままだが、ドアを開けてしまった。
そこには黒いコートを着た中年のサラリーマンふうの男がたっていた。その男が弱々しい声で
「すみません。あなた私の財布を拾ったでしょう? 財布を届けてもらいたいんですがね」
と言う。なにを言っているのか意味がわからなかった。
「財布を娘のところに届けてもらいたいのです」
「あ、わたしもすぐ警察に届けなくてすみませんでした。あなたがオオタさんですか。私はネコババしたわけじゃないんですよ。行こう行こうとは思っていたんですけどね、仕事が忙しくて。いまお返ししますから、ちょっとお待ちください」
「いえ、わたしは届けることができないので、あなたに届けてほしいのです」
「すぐ返しますから。でもよくわたしが拾ったってわかりましたね」
「あなたに拾ってほしくて、わざとあそこに落としたのですよ」
「………」
「どうしても娘のところに届けてもらわないと困るのです」
「だからいま返しますから、自分で届けてくださいよ」
「とにかく届けて欲しいのです」
「意味がわからないですけど。わたしは娘さんの家なんか知りませんし」
「ここに住所が書いてありますから」
と男は紙切れを強引に私の手に握らせた。腹が立ったのでその紙切れをつき返した。すると男は玄関のなかに紙切れを投げて、
「お願いします」と深々と頭を下げた。そしてトーン、トーンという靴音を響かせ去っていった。
私はあっけにとられてしばらく突っ立っていた。
紙切れを拾ってみると、住所は電車で一駅さきの総合病院の近くだった。
「なんでわたしが!」
しだいに寒くて震えがとまらなくなり、歯がカチカチ鳴った。
次の日、浅い眠りで目をさましたが、まだ寒気がとまらなかった。しばらく布団のなかで考えていた。男はどうして自分の財布を娘に渡さなければならないのか? そしてどうして自分で渡せないのか? もしかしたらオオタという男には自分で渡すことのできないふかい事情があるのかもしれない。犯罪者だったりして。いずれにしても早く娘さんに渡さないと、また訪ねてこられても困る。
とにかく熱い風呂に入って出かける支度をした。まだ寒気は取れなかったけれど。
紙切れに書いてある住所は駅をはさんで病院とは反対側にあった。歩くのが面倒なのでタクシーに乗った。タクシーは静かな住宅街の平凡な二階建ての家の前でとまった。
門のインターホンのボタンを押して、
「あの、オオタシンジロウさんの財布を届けにきたものですが……」
と言った。
「ほんとうですか? 少しお待ちください」
という返事のあとすぐに若い女性が玄関から出てきた。
「どういうことですか? 父の財布をどうしてあなたが?」
「私がオオタさんの財布を拾って、オオタさんが娘に渡してくれってうちに頼みに来て、いやだって断ったんですけど、無理やりここの住所をかいた紙を渡されて」
と紙切れを渡した。女性はその紙切れを見ながら
「それはいつのことですか?」と言った。
「昨夜ですけれど」
「ほんとうですか?」
「ほんとうですよ。うそをついてもなんの得にもならないですから」
「とにかくお入りください」
女性は私を家のなかにいれた。
居間にとおされ、財布を拾ってからの不思議なできごとと、夕べのことをこまかく話した。
女性は私の話を聞き終わると、涙を流して身の上話をはじめた。
「四年前父は家を出ていったのです。ずっと会ってなくて、昨日、私が結婚したものですから、父がお祝いを持って遊びにきてくれることになっていたのです。でもこんなことになってしまって。父は一週間前に交通事故にあって亡くなったんです」
「えーっ? だって頼まれたのは昨夜ですよ。黒いコートを着た中年の男の人でした。では別人だったのでしょうかね。でも別人だったら、わざわざわたしに届けてくれなんて面倒なことをしなくてもいいのにね。その男の人もなにか事情があったんでしょうかね」
と言うと女性は、
「この人でしたか?」
と写真を持ってきて見せてくれた。チェーンがかかった狭い隙間から見ただけだったが、確かに昨夜の男だった。
また歯がカチカチ鳴った。
私は脳貧血をおこし、その場に倒れたようだった。女性が心配してソファに寝かせてくれたらしい。気がつくと女性がお茶をいれてくれていた。
「父があなたに託したんです。この財布のなかのお金は私へのお祝い金だったのです。届けてくださってありがとうございました」
「それじゃ、わたしはオオタさんの霊に頼まれたってことですか?」
女性はこっくりとうなずいた。
「霊がちゃんと歩いて靴音を響かせて、わたしのところに来たっていうんですか!」
「そうとしか考えられません」
「そんなこと!」
頭がわれるように痛くなった。
「失礼します」と帰ろうとすると、女性が白い封筒を差し出して、
「ほんのお礼の気持ちです。受け取ってください」と言った。
「要りません!」と言って玄関で靴をはくと、女性は私のジャケットのポケットに白い封筒をねじ込んだ。
帰り道、頭痛は少しおさまってきた。歩きながら自分の履いているスニーカーをまじまじ見ると、なんと汚くみすぼらしいのだろと思った。こんな靴を履いているから霊に好かれてしまうのかもしれない。
私は駅ビルの中にある靴屋に入って新しいスニーカーを買った。代金は白い封筒の中のお金で支払った。
(了)
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山口倫可 (月曜日, 02 9月 2019 21:54)
原石大賞おめでとうございます㊗️��
とーっても怖かったです。アパートの階段をトーン、トーンと靴音立てながら登ってくる。だけどチャイムは鳴らない。いきなりバーンと恐怖に落とし入れるのではなく徐々に恐怖が増してくる感じが素晴らしいです。
私もまたホラー書きたくなりました!
桑山 元 (土曜日, 07 9月 2019 20:38)
原石大賞、おめでとうございます!!
丁寧な文体、低声で語られる物語。
押し付けがましくなくて、ついつい読まされてしまいます。
怖い話なんだけど、最後に温かいものが底辺に流れていることに気づかされ、とても後味の良い作品に仕上がっています。
素敵です。