· 

人が出世するプロット

人が出世するプロット

 

人が出世する物語は、

昔も今も人気があります。

 

出世というのは、

有名になってお金持ちになるとか、

会社を興して大企業へと成長するとか、

少年野球の選手だったのが、

アメリカ大リーガーになるとか、

 

そんなお話です。

 

ただし、どんな人物が出世していくのかは、

重要な問題です。

 

意地の悪い人が出世しても

読者は喜びません。

 

読者が喜ぶのは、次の3つの要素を持った人物です。

 

(1)  欠点があること。

(ただし、読者が許せる範囲の欠点/殺人鬼という欠点ではマズイ)

 

(2)  弱者や困った人を助けるような性格であること。

(欠点だらけの人間に、ちょっとしたいい面があったりするとOK

 

(3)応援したくなるような純粋さがあること。

(目標に向かって情熱を燃やしていたり、礼儀正しかったり)

 

こんな人物像を作ることがポイントです。

 

 

 

スポンサード リンク

人が出世するプロット

 

【第1段】

 

 

〇〇〇(主人公)は、こんな人間だ。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

(出身や年齢や夢など)

 

ところが、こんな1面があった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

(欠点に関するエピソードを入れる)

 

 

 

【第2段】

 

 

そんな〇〇〇(主人公)が、困ったことになった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

(どん底に突き落とされるエピソードを入れる)

 

 

【第3段】

 

そんな〇〇〇(主人公)にも、応援者があらわれる。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

(応援者に助けられ出世するエピソードを入れる)

 

 

 

スポンサード リンク

落語『阿武松(おうのまつ)』は、こんなお話

 

【第1段】

 

小車とは、こんな人間だ。

 

京橋観世新道に住む

武隈文右衛門という幕内関取の所に、

名主の紹介状を持って入門してきた若者。

 

能登国鳳至(ふげし)郡鵜川村字七海の在で、

百姓仁兵衛のせがれ長吉、

年は二十五。

 

なかなか骨格がいいので、

小車というしこ名を武隈からもらった。

 

小車は、酒も博打も女もやらない堅物。

 

ただ1つの欠点は、

人間離れした大食い。

 

朝、赤ん坊の頭ほどの握り飯を十七、八個ペロリとやった後、

それから本番。

 

おかみさんが三十八杯まで勘定したが、

あとはなにがなんだかわからなくなり、

寒けがしてやめたほど。

 

 

【第2段】

 

そんな小車が、困ったことになった。

 

「こんなやつを飼っていた日には

食いつぶされてしまうから追い出してくれ」

と、おかみさんが武隈に迫る。

 

武隈もおかみさんには頭があがらない。

 

「わりゃあ相撲取りにはなれねえから、あきらめて国に帰れ」

と、一分やって追い出してしまった。

 

小車、とぼとぼ板橋の先の戸田川の堤までやってくると、

面目なくて郷里には帰れないから、

この一分で好きな飯を思い切り食った後、

明日、身を投げて死のうと心決める。

 

 

【第3段】

 

そんな小車にも、応援者があらわれる。

 

死ぬ前に、好きな飯を思いっきり食べようと、

小車は、板橋平尾宿の橘家善兵衛という旅籠に泊まる。

 

一生の思い出と思って食べるので、

食うわ! 食うわ!

 

おひつを三度取り換え、

六升飯を食ってもまだ終わらない。

 

面白い客だというので主人の善兵衛が応対し、

事情を聞いてみると

これこれこういうわけと知れる。

 

善兵衛は同情し、

 

「家は自作農も営んでいるので、

どんな不作な年でも二百俵からの米は入るから、

おまえさんにこれから月に五斗俵二俵仕送りする」

と約束する。

 

そして、

ひいきの根津七軒町、

錣山(しころやま)喜平次という関取に紹介する。

 

喜平次は、小車を一目見るなり惚れ込んでしまう。

 

「武隈関は考え違いをしている、

相撲取りが飯を食わないではどうにもならない、

ワシが一日一俵ずつでも食わせる」

と、善兵衛が言う。

 

しこ名を改めて、

喜平次は自分の前相撲時代の小緑というしこ名を与えた。

 

奮起した小緑、

百日たたないうちに番付を六十枚以上飛び越すスピード出世。

 

文政五年蔵前八幡の大相撲で

小柳長吉と改め入幕を果たし、

その四日目、仇の、武隈と顔が合う。

 

その相撲が長州公の目にとまって召し抱えとなり、

のち、第六代横綱・阿武松緑之助と出世を遂げる。

 

 

 

※下記の掲示板に、

このプロットを使ったショート小説を書いてアップしてみてください。

 

長くなったら、2回か3回に分けて掲出してみてください。

スポンサード リンク

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    本田利久 (日曜日, 24 2月 2019 13:40)

    <あるアスペルガーの逆転劇>

    【第1段】

     夢野作家(ゆめのさくいえ)は、こんな人間だ。彼には自閉症スペクトラム障害があった。(発達障害の一種で、いわゆる『アスペルガー』の呼称で知られている)

    ☑その場を観察する力に欠け、空気が読めない
    ☑大勢の中では心身が疲弊してしまう
    ☑人間に対する過敏があり、付き合う人が限られる
    ☑短期記憶が弱いために、聞いたことをすぐに忘れてしまう
    ☑目と手の協応作業に欠陥があり、メモ書きしたり板書するのに時間がかかる

    端的に言うと、『動いている対象を把握する力』が極端に弱いのだ。

     そんな作家にも、たった一つ突出した特技があった。それは『文章を書くこと』だ。

     それにプラスして、彼は幼い頃から対人関係に苦労させられてきた。自分が失敗したり痛い思いをすることで人の感情を学んできた。その経験は、弱い立場に対する共感力や優しさ、苦しい状況における忍耐力を養った。また、謙虚さも学習せざるを得なかった。

     それに付け加えて、彼の嘘をつけない正直さは人を選びこそすれ、作家を知る者は誰もが彼の人柄に惹かれたものだった。

     脳の障害のために、アルバイトの身分に甘んじるしかない作家には夢があった。
    「文章で食べていけるようになりたい」
    そういう訳で、作家はコピーライティングを学ぶことにした。

     ところが、ここでも彼の特性が夢を邪魔した。彼にはこんな一面があったからだ。独創性が強すぎるのだ。反応率の高いコピーを書くためには、自分を消してターゲットの現実に入らなければならないが、作家には困難だった。

     コピーライティングの田中先生のアドバイスを受けて修正しても、しばらくするとまた元に戻ってしまう。
    「夢野さん、あなたにはコピーは向いていません。別の道を探したらどうですか?」
    田中先生にもさじを投げられた。

     壁にぶつかり、作家は途方に暮れた。
    「普通に生きるのが難しいから、目立つスキルを手に入れようとしたのに…‥」

    【第2段】

     それから数ヶ月後、縁が切れたはずの田中先生から連絡があった。
    「夢野さん、ちょっと話ができませんか?」
    作家と先生はZoomで語り合った。

     実はコピーの先生同士の交流会があり、田中先生は仲間たちに独創性の強すぎる生徒について相談した。その時、仲間の一人である佐藤先生が言った。
    「それって、小説家向きじゃないかな?」
    佐藤先生はコピーライティングだけでなく、小説のノウハウも教えていて、既に成功者を続出させていた。

     田中先生は、佐藤先生を紹介してくれた。2人の先生の三者コンサルティングを受け、作家は幼い頃の遠い記憶を呼び起こした。
    「そういえば、小学校の時に小説をノートに書いて皆に読ませたことがあった……」

     その物語はクラスの皆に好評で、友達がいなかった作家は一躍人気者になった。自信を得た作家は両親に小説家の夢を宣言するも、父親にこっぴどく叱られた。
    「夢みたいなことを言うな、もっと現実を見ろ!」
    父親は息子が書いた小説のノートをビリビリに破り、ゴミへ投げ捨てた。挙げ句に、せっかく出来た学校での居場所も父親の転勤で転校することになり儚く消えた。

     そのトラウマゆえに自分の夢を封印し、「現実的なことに関心を持たねば」と強迫観念にかられながら今日まで生きてきた。

     その結果サラリーマンを志すも、仕事は長続きせず、小さいものも含めて31回もの転職を繰り返すことになる。最後の32回目で、ようやくイベント会社のアルバイトで長続きできたわけだ。仕事がスポットで人間関係を気にする必要がなかったためだ。

     昨家はアルバイトの仕事をしながら、文章スキルを高めようとしていたのだ。そんな作家にも今――応援者が現れることになった。佐藤先生だ。

     佐藤先生は作家に、小説を書くように勧めた。先生との良好な関係を築くためにも、作家は自分の障害のことを打ち明けた。アルバイトで経済的に使えるお金は限られているため、佐藤先生の著作やブログ、安価な教材で小説のテクニックやノウハウを食い入るように学んだ。その独学スタイルは作家にも合っていた。

     作家は歴史が好きで、特に戦国時代にかけては誰もが舌を巻く程の博学ぶりだった。戦国時代の武将の中でも、織田信長が好きな作家は、彼を主人公にした『信長のラーメン』という長編小説を書いた。信長は日本人に最も人気の武将であることから、売れる題材は消費者にもマッチしていた。

     3年後、ベストセラーになっていた『信長のラーメン』は漫画化や映画化、シリーズ化される程に好評を博していた。
    「やっと佐藤先生に恩返しが出来る!」
    義理堅い作家は、自分の才能を見出してくれた佐藤先生に売り上げの10%を渡すことが出来た。そして、自分が稼いだお金で今度はマンツーマンコンサルをペイでき、さらに稼ぐことができた。

     もう一つの稼ぎの柱として――発達障害の成功者の一人として、まだまだ障害の認知に遅れをとっている日本への啓蒙活動に邁進した。発達障害者が自分らしく人生を謳歌できるための橋渡しを買って出たのだ。

     この世で何も役に立てずに人生を投げ出しそうだった一人の男が、懸命に生きた者しか味わえない果実(マチュリティ)を手にした瞬間だった。

  • #2

    今井 大輔 PNだいのすけ (水曜日, 27 2月 2019 15:58)

    【第1段】

    腹板仁志(はらいたひとし)は、こんな人間だ。

    神奈川県の奥地出身の十八歳、夢は東大に受かり官僚となり、少しでも両親を助けてあげたいと思っていた。

    ところが、こんな1面があった。


     仁志は極度の腹痛持ちで緊張するとお腹がキュルキュルと鳴り、便意を催してしまうのだ。

     中学生の頃、 第一志望の高校受験の試験中、緊張から突然お腹が痛くなった。起きて眠気覚ましに飲んだコーヒーがそれを促進してしまったようだ。脂汗が出るのを我慢しながら、解答していったが、答案の半分くらい書いた時点で限界が来てしまい途中退場しトイレへ駆け込んだ。悔しくて涙を流しながら用を足した。



     もちろん第一志望の高校には落ちた。それを糧に勉強に勉強を重ね東大合格圏内の成績をおさめるまでになった。





    【第2段】

     そんな仁志が、困ったことになった。

    東大受験の最中に、またお腹が痛くなってしまったのだった。

    チキショウ! 仁志は自分の運命を呪った。なんで自分ばかりこんな目にあわなきゃならないんだ。怒りすら沸き起こってくる。そんなことを思えば思うほど、お腹はキュルキュル鳴り出し痛みが増していくのだ。ダメだ。もう限界だ。

    まるで噴火寸前の火山がマグマを溜めたように顔が真っ赤になった。あの時のようにトイレへ駆け込もうと思ったがもう間に合わない。ブリブリ……ブリブリと仁志は漏らしてしまったのだった。

    【第3段】

    その時、仁志のズボンがビチャっと濡れた。

    試験官がワザと近くにあった仁志のズボンに花瓶の水を掛けたのだ。

    「あ〜ごめんなさい。着替えを渡すのですぐに着替えてきてください。途中退出は認められませんが、こちらのミスなので今回は特別に認めます」

    そう言うと彼は仁志にタオルとジャージを渡してくれた。そして仁志にウィンクをした。絶体絶命のピンチの仁志に救世主が現れたのだ。

    試験管とトイレに行った。

    「僕も極度の腹痛持ちで君の気持がわかる。何度も人生の大事で局面で失敗したことか……。はじめて妻の実家に挨拶に行った時なんか、『お父さん、お嬢さんを……』ってところでお腹がキュルキュル鳴ってすぐにトイレへ駆け込んだもんだよ。自分と同じ境遇の人がいるかもしれないって思って、試験の時にはいつも着替えと花瓶を用意していたんだ。さぁ気分を変えてテスト頑張って!」

     と言いポンっと仁志の肩を叩いた。そして、「念のため」とのことで紙おむつを渡された。

     その後、緊張がうそのように取れて答案も進み、仁志は無事に東大に受かったのだ。

    (了)