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小説の視点について

小説の視点について

 

小説を書くうえで、「視点」というものを十分理解していないと、

とんでもない小説を書いてしまうことになる。

 

初心者は、この「視点」が理解できず、物語を破綻させてしまう。

これは、文学賞を狙う人にとっては命取りになる。

 

「視点」がいかに大事か、どんなに強調しても足りないだろう。

 

「視点」について、しっかりと理解していこう。

 

 

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■視点に一貫性のない小説はアウト!

 

まだまだ未熟な人が書いた小説にしばしば見られる致命的な欠陥が、

「視点」に一貫性がないこと。

 

たとえば、こんな物語があったとする。

 

妻子ある男と、独身女性がホテルで性交をしたあと、男はタバコを吸っている。

この物語は男の視点で語られている。

 

男はタバコを吸いながら、ホテルの室内をぐるりと見回す。

この女とは、いつか別れなければと考えている。

だが、嬉しそうにニコニコとベッドの上から笑顔をこちらに向けている女の顔を見ていると、

なかなか別れを言い出せない。

 

そこで、作者が、突然、何となくここで女の視点を入れたほうがおもしろそうだと思い、

ほんの数行だけ、女の視点で書いたとする。

たとえば、こんな文章。

 

女は笑いながら、男の家庭をメチャクチャにするにはどうすればいいかを考えている。

男を離婚に追い込み、1人ぼっちにさせたあと、私は若い男と結婚するのだ。

 

 

もちろん、小説とは、何でもアリの文章だ。

作者の都合で視点をコロコロ変えてはいけないというルールはない。

しかし、視点がコロコロと変わってしまうと、読者は混乱してしまうだけでなく、

感情移入できなくなってしまう。

 

「え? ボクはいったい、誰の気持ちに寄り添って読み進めればいいの?」

と心のなかでつぶやく読者がいるかもしれない。

 

それまで、男が考える主体だったのが、突如として女に変わり、

そして、すぐに、また男に戻るわけだ。

そうなると、読者は、誰の気持ちで読み進めばいいのか、わからなくなる。

 

せめて、男の気持ちをちゃんと理解できるまでは、男を考える主体で読み進めたい、

と読者は思うはずだ。

 

 

だから、少なくとも、1つの場面を語るときは、1つの視点で語ることが望ましい。

 

 

■子どもの視点で書いたらいくつかの制約が生まれる。

 

児童文学では、主人公が子どもであることが多い。

その場合、子どもの「視点」で書かなければいけないので、

いくつかの制約があることを忘れてはいけない。

 

1つは、子どもは言葉を知らないということ。

だから、少ない語彙で物語を語る必要がある。

この世に生をうけて、わずか5年ほどしかたっていない子どもは、

 

「質実剛健」とか、

「資本主義の終焉」とか、

「パトリオティズム」とか、

そういう言葉は知らないだろう。

 

その小説を子どもの「視点」で書く場合、こうした言葉を使うことはできない。

 

 

2つは、子どもに理解できそうにない考え方や理論を書くこともできないということ。

 

たとえば、子どもには「不倫」という言葉の意味も、行為もわからないはず。

母親がいつになくイキイキと着飾り、心なしか厚化粧している理由が理解できないだろう。

 

なぜ、一日中、おじいちゃんとおばあちゃんの家で遊んでいなければいけないのか、

いつもはケチケチする母親が、気前よくカードゲームを買ってくれることに、

何の違和感もなく大喜びするかもしれない。

 

3つは、見るものすべてを子どもの純粋無垢な視点で書くこと。

もちろん、子どもはみんな純粋無垢とはかぎらない。

マセた子どもを設定することもできるし、屈折した性格にすることもできる。

 

いずれにしても、その主人公の視点で、すべてのものを見つめなければいけない。

 

 

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■主人公の人間性や性格で視点が変わる。

 

たとえば、主人公が新宿の居酒屋に入って酒を飲む場面を、

あなたならどんなふうに書くだろうか?

 

もしも、グルメ雑誌のライターなら、その居酒屋のセールスポイントやら、

料理メニューやら、接客サービスやら、席数や営業時間やらを書くだろう。

 

それでは、主人公の視点で書いたことにはならない。

単に客観的な事実を述べただけだ。

 

小説では、主人公が、その居酒屋をどんなふうに見たのか?

つまり、どう認識したか?

という「視点」が必要になる。

 

そして、その「視点」は、主人公の人間性や性格によって変わってくるはずだ。

 

もしも、主人公が、元板前さんで、飲食店に厳しい評価を下す性格だったら、

居酒屋の玄関からしてチェックするのではないだろうか?

 

料理を見れば、食べなくても、厨房のなかのことがわかるかもしれない。

作った人間の心のなかのモヤモヤが見えるかもしれない。

 

そんなふうに、どう認識するかが、わかってくると、

どう考えるかが見えてくる。

 

どう考えるかが見えてくると、

その次にどう行動するか、そして、どんなセリフを吐くのかが決まってくる。

 

 

 

 

■小説は人間を描くものである。

 

「視点」について考えると、どうしても、

主人公の人間性や性格にまで言及しなければいけなくなる。

 

その主人公がどんな人間なのか?

どんな性格なのか?

それによって「視点」が変わってくるからだ。

 

そもそも、小説とは人間を描くものだ。

これは、多くの未熟な作家たちが忘れてしまう重要な教訓だ。

決して、決して、忘れてはならない。

 

「小説とは人間を描くものなのだ!」

 

なのに、多くの未熟な作家たちは、自分の作ったストーリーに人物を当てはめようとする。

これでは本末転倒である。

 

たしかに、プロットは大事だ。

建築でいえば、プロットは設計図だ。

設計図なしに家を建てることはできない。

 

だが、現場へ行ってみると設計図通りにいかないことがたくさんある。

それでも、未熟な作家たちは、何がなんでも設計図通りに家を建てようとする。

 

小説でいえば、プロットに人物を押し込んでしまうのだ。

たとえば、

主人公を「鼻輪の外れた暴れ牛」のような人物設定をしているのに、

プロット通りにストーリーを進めるために、

主人公を上司に向かって神妙に謝らせたりすると、物語としてはつまらなくなる。

 

人物設定とプロットが対立した場合、人物設定を優先しなければいけない。

 

プロットはどんどん変更すればいいのだ。

 

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■まとめ

 

結局は、主人公の人間性や性格をしっかりと考えておかなければいけないということ。

そうしなければ「視点」が定まらない。

「視点」が定まらないと、小説はフラフラとしてしまい、

つまらない文章の羅列で終わってしまう。

 

逆に「視点」が定まっていれば、それだけで、おもしろい小説になる。

読者は、

「私たちが、いつも見ている新宿の街を、

この主人公は、こんなふうに見てるんだ」

と思ってくれるだろうし、

 

「私たちが、老人を見ると親切にしようと思うのに、

この主人公は、こんなふうに考えるんだ」

とおもしろがってくれるだろう。

  

 

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