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小説をどう書いていいかわからない人はぜひトライしてみよう!

 

小説をどう書いていいかわからない人はぜひトライしてみよう!

 

 

はじめて小説を書く人たちは、いったい、何をどう書けばいいのか、

さっぱりわからないのではないだろうか?

 

多くの小説作法の本は、すでに小説がある程度書ける人たちを対象にしている。

文学系の大学や小説講座や創作スクールなどで

小説作法を教えてくれるところがあるが、

そういうところも、

ほとんどがある程度書ける人たちが集まっている。

 

だから、とにかく自由に書かせて講師が添削していくという指導方法がとられている。

 

そんな学校へ行っても、まったくの初心者は小説が書けるようにはならない。

ならないどころか、小説を書くことを嫌になって終わる。

それでは、せっかく、小説を書こうと決意したのにもったいない話だ。

 

そこで、おススメの書き方がある。

 

それが、書簡体小説だ。

 

 

 

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■書簡体小説とは?

 

 

書簡とは手紙のこと。

つまり、手紙を書くという形式を使った小説である。

 

さすがに手紙を書いたことのない人はいないはず。

だから、小説をどう書いていいかわからない人は、手紙を書いてみればいいのだ。

手紙なら書けるだろう。

 

手紙は、読んでもらう相手がいる。

だから、相手を想定して書けばいい。

 

相手の知らない情報は、ちゃんと説明しなければいけないし、

心のなかみもある程度告白できる。

読者と作者の距離感を取りやすいというメリットもある。

 

さらに、書簡には日付がついているので、季節の感覚も入れることができる。

当然、一人称で書くことになるが、より親密な書き方ができる。

なにより、書簡体小説はリアリティがあふれてくる。

 

書簡体小説と似た技法に、「日記体小説」がある。

これは日記を書くように書いた小説のことだ。

日記だから、はじめて小説を書く人もかなり自由に書けるはずだ。

 

「書簡体小説」や「日記体小説」はしばしば自伝的な小説と比較される。

どちらも一人称で書かれたものだ。

 

自伝的小説は、すでに作者は結果を知っているが、

「書簡体小説」や「日記体小説」は、出来事がリアルタイムで起きている。

この臨場感が読者を引き込んでくれる。

 

日記だと、1人の視点で書くしかないが、

手紙だと、複数の人物の視点で書くことができる。

男が手紙を出して、女がその返事を書くという具合に・・・。

 

交換日記だと、複数の男女の視点で書くことができる。

これは大きなメリットだし、

 

視点の乱れを克服するための初心者にはいい訓練になる。

 

 

 

■太宰治の『風の便り』

 

 拝啓。

 突然にて、おゆるし下さい。私の名前を、ご存じでしょうか。

聞いた事があるような名前だ、くらいには、ご存じの事と思います。

十年一日の如く、まずしい小説ばかりを書いている男であります。

と言っても、決して、ことさらに卑下しているわけではございません。

 

私も、既に四十ちかくに成りますが、未だ一つも自身に納得の行くような、

安心の作品を書いて居りませんし、また私には学問もないし、

それに、いわば口重く舌重い、無器用な田舎者いなかものでありますから、

かったつな表現の才能に恵まれているはずもございません。

 

それに加えて、生来の臆病者でありますから、文壇の人たちとの交際も、

ほとんど、ございませんし、それこそ、あの古い感傷の歌のとおりに、

友みなのわれより偉く見える日は、花を買い来て妻と楽しんでいるような、

だらしの無い、取り残された生活をしていて、

ああ、けれども、愚痴は言いますまい。

 

私は、自分がひどく貧乏な大工の家に生れ、気の弱い、

小鳥の好きな父と、やせて色の黒い、聡明な継母との間で、くるしんで育ち、

とうとう父母にそむいて故郷から離れ、この東京に出て来て、

それから二十年間お話にも何もならぬ程の困苦にあえぎ続けて来たという事、

それも愚痴になりそうな気が致しますので、

一さい申し上げませぬ。

 

また、その暗いかずかずの思い出は、私の今日までの、作品のテエマにもなって居りますので、今更らしく申し上げるのも、気がひける事でございます。

ただ、私が四十ちかくに成っても未だに無名の下手へたな作家だ、と申し上げても、

それは決して私の卑屈な、ひがみからでも無し、

不遇を誇称して世の中の有名な人たちに陰険ないやがらせを行うというような、

めめしい復讐心から申し上げているのでもないので、

本当に私は自分を劣った作家だと思って素直にそれを

申し上げているのだという事をさえ、わかって下さったら、

それだけで、私はありがたく思います。

 

(中略)

 

 私の最近の短篇小説集、「へちまの花」を一部、お送り申しました。

お読み捨て下さい。

 

ここは武蔵野のはずれ、深夜のしょうらいは、なみの響きに似ています。

此の、ひきむしられるようなさびしさの在る限り、

文学も不滅と思われますが、

 

それも私の老書生らしい感傷で、お笑い草かも知れませぬ。

先生(と意外にも書いてしまいましたから、大切にして、消さずに、そのまま残して置きます。)御自愛を祈ります。

敬具。

    六月十日

木戸一郎

  井原退蔵様

 

 

 拝復。

 先日は、短篇集とお手紙を戴きました。御礼おくれて申しわけありませんでした。短篇集は、いずれゆっくり拝読させて戴くつもりです。まずは、御礼まで。草々。

 

十八日

 

井原退蔵

  木戸一郎様

 

 

 

 

 

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■まとめ

 

太宰の『風の便り』を読んでみると、

手紙なら自分でも書けそうだと思ったはずだ。

だいいち、手紙は誰も書けるし、書いた経験もあるだろう。

 

小説なんて、

誰かにあてて、手紙形式で気軽に書けばいいのだ。

 

もちろん、人を感動させたりするには、技術を学ばなければいけないが、

そんなことは、もっとあとに考えればいい。

まずは、小説らしきものが書けるようになることだ。

 

 

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