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『日の名残り』(カズオ・イシグロ/早川書房)

 

 

長崎県出身の日系イギリス人小説家であるカズオ・イシグロ氏の傑作。

 

この長編小説『日の名残り』で1989年にイギリス最高の文学賞ブッカー賞を、

2017年にノーベル文学賞を受賞した。

 

 

この傑作がどのようにして書かれたのか、

興味のむくところだろう。

 

 

イシグロ氏の執筆スタイルは独特のものがある。

 

カズオ・イシグロ氏が、英紙(COURRIER)へ、こんな記事を寄稿している。

2015年2月付けの記事だ。

 

長文になるが、小説家をココロザス者には、大いに参考になると思うので、

ここに引用する。

 

 


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『日の名残り』はどのようにして書かれたのか?

 

 

長時間労働が要求される仕事は多い。

しかし小説の執筆となると、

4時間程度で収穫逓減が始まるということで大方の意見が一致しているようだ。

 

 

私自身、基本的にそういう考えだったのだが、

1987年の夏が近づいてきた頃、

このアプローチをがらりと変える必要を強く感じるようになっていた。

妻のローナも賛成した。

 

 

その5年前に仕事を辞めて執筆に専念して以来、

安定した仕事のリズムと生産性を比較的うまく維持できていた。

 

 

しかし、2作目の小説が成功を収めると、気の散ることがいろいろと舞い込んできた。

キャリアにプラスになるという触れ込みの企画やディナーパーティへの招待、

魅力的な外国旅行や山のような手紙。

 

 

それで「本業」に専念できなくなってしまった。

新作の小説の第1章は前年の夏に書いていたが、

約1年経ってもほとんど進んでいなかった。

 

 

そこでローナと私は一計を案じた。

私はそれから4週間、容赦なく他の用事を切り捨て、

「クラッシュ」という謎めいた名前をつけた、

いわゆる缶詰め期間に入る。

 

 

クラッシュ期間中、

月曜から土曜の午前9時から午後10時半まで、執筆以外の活動は一切しない。

 

休憩は昼食に1時間、

夕食に2時間とる。

 

手紙は読まないし返事もしない。

電話にも出ない。

訪問客も断る。

 

 

ローナ自身も忙しかったが、

この期間中は、食事の支度と家事を私の分も引き受けてくれることになった。

 

こうすることで仕事の量をこなせるだけでなく

小説世界の方が現実世界よりリアルに感じられるような精神状態になれるのではと私たちは期待したのだ。

 

 

 

だいたいこのようにして『日の名残り』は書かれた。

クラッシュ期間中は、文体も、

午前中に書いたことが午後に書いたことと矛盾していないかといったことも気にせず、自由に書いていった。

 

重視したのは、アイディアが浮かび、育っていくのを邪魔しないことだった。

ひどい文章、お粗末な会話、どこにもつながらない場面。

すべてそのままにして書き続けた。

 

 

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『日の名残り』のおもしろさとは?

 

 

『日の名残り』のおもしろさは、

個人の記憶と社会の記憶の交差するところにある。

 

 

イシグロ氏は、ノーベル財団による公式インタビューで次のように語っている。

 

「いつも興味を持っていたのは、小さな世界と大きな世界をどうやって同時に生きるかです。

我々は、満たされて愛を見つけるためのパーソナルアリーナ(個人の領域)を持っています」

 

 

「けれどその小さな世界は、より大きな世界と不可避的に交わります。

そこは、政治や、ディストピアのようでさえある宇宙が支配している世界です。

我々は小さな世界と大きな世界を同時に生きていて、どちらかを忘れることはできません」

 

 

この小説に、そんな深い洞察が込められているなど、

気づきもしない読者が多いかもしれない。

 

 

とにかく、文体がおもしろくて、最後まで楽しませてくれる。

英国紳士の執事であるスティーブンスの仰々しくも丁寧な敬語で語られている。

 

 

たとえば、書き出しがこんな感じだ。

 

ここ数日来、頭から離れなかった旅行の件が、どうやら、しだいに現実のものとなっていくようです。

ファラディ様のあの立派なフォードをお借りして、私が1人旅をする

 

――― もし実現すれば、私はイギリスで最もすばらしい田園風景の中を西へ向かい、

ひょっとしたら、五、六日も、ダーリントン・ホールを離れるかもしれません。

 

 

 

「品格」というテーマで、登場人物たちが語り合うシーンがあり、

何度も「品格」という言葉が出てくる。

 

 

品格を兼ね備えた執事のエピソードして、スティーブンスが偉大な執事である父親から聞いたのは、

 

インドのお屋敷でのこと。

台所に虎が迷い込んでいたのだが、執事は少しも慌てることなく、ご主人にこう耳打ちする。

 

「ご主人様、食堂に虎が一頭、迷い込んだようでございます。

十二番径の使用をご許可願えましょうか?」

 

やがて処理を終えた執事が、お茶をつぎ足しにくる。

 

主人は「不都合はないか」と尋ねる。

 

「はい。ご主人様、なんの支障もございません」

 

「夕食はいつもの時刻でございます。

そのときまでには、最近の出来事の痕跡もあらかた消えていると存じますので、

どうぞ、ご心配なきように願います」

 

と答えた。

 

 

その後、主人公スティーブンスの年老いた父親が、

自分の下の副執事としてダーリントン・ホールで働くことになる。

 

そして、重要な国際会議が開かれている真っ最中に、

その父が他界する。

 

父の死を悲しむ暇もなく、仕事に戻る主人公のスティーブンス。

 

さらには、

スティーブンスにまつわる、ちょっとした恋のストーリーが色を添える。

 

 

女中頭のミス・ケントンが恋心を抱いているものの、

執事と女中頭がロマンスに落ちるわけにはいかない。

 

結局、ミス・ケントンは他の男と結婚し、ダーリントン・ホールを去っていく。

 

この小説の縦軸となっている小旅行の目的のひとつは、

 

このミス・ケントンに会うことだった。

 

手紙には、

結婚し、子どももできたようだが、3度も家出をしている。

 

いまは、幸せに暮らしているのだろうか?

 

ダーリントン・ホールに戻って来てくれるだろうか?

 

そのような疑問が、最後に明かされる。

 

 

二重三重に、おもしろさを織り交ぜたエンターテインメント性のある小説だ。

 

 

 

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『日の名残り』のあらすじ

 

〈あらすじ〉  (ウィキペディア)

 

 

物語は1956年の「現在」と1920年代から1930年代にかけての回想シーンを往復しつつ進められる。

 

第二次世界大戦が終わって数年が経った「現在」のことである。

 

執事であるスティーブンスは、新しい主人ファラディ氏の勧めで、

イギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かける。

 

前の主人ダーリントン卿の死後、

親族の誰もダーリントン卿の屋敷ダーリントンホールを受け継ごうとしなかった。

 

それをアメリカ人の富豪ファラディ氏が買い取った。

 

ダーリントンホールでは、深刻なスタッフ不足を抱えていた。

なぜなら、ダーリントン卿亡き後、

屋敷がファラディ氏に売り渡される際に熟練のスタッフたちが辞めていったためだった。

 

人手不足に悩むスティーブンスのもとに、

かつてダーリントンホールでともに働いていたベン夫人から手紙が届く。

 

ベン夫人からの手紙には、現在の悩みとともに、

昔を懐かしむ言葉が書かれていた。

 

ベン夫人に職場復帰してもらうことができれば、人手不足が解決する。

 

そう考えたスティーブンスは、彼女に会うために、ファラディ氏の勧めに従い、

旅に出ることを思い立つ。

 

しかしながら、彼には、もうひとつ解決せねばならぬ問題があった。

彼のもうひとつの問題。

 

それは、彼女がベン夫人ではなく、

旧姓のケントンと呼ばれていた時代からのものだった。

 

旅の道すがら、スティーブンスは、

ダーリントン卿がまだ健在で、

ミス・ケントンとともに屋敷を切り盛りしていた時代を思い出していた。

 

 

今は過去となってしまった時代、

スティーブンスが心から敬愛する主人・ダーリントン卿は、

 

ヨーロッパが再び第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、

戦後ヴェルサイユ条約の過酷な条件で経済的に混乱したドイツを救おうと、

ドイツ政府とフランス政府・イギリス政府を宥和させるべく奔走していた。

 

やがて、ダーリントンホールでは、秘密裡に国際的な会合が繰り返されるようになるが、

次第にダーリントン卿は、ナチス・ドイツによる対イギリス工作に巻き込まれていく。

 

 

再び1956年。

 

ベン夫人と再会を済ませたスティーブンスは、

不遇のうちに世を去ったかつての主人や失われつつある伝統に思いを馳せ涙を流すが、

やがて前向きに現在の主人に仕えるべく決意を新たにする。

 

屋敷へ戻ったら手始めに、

アメリカ人であるファラディ氏を笑わせるようなジョークを練習しよう、と。

 

 

最後の場面で、

桟橋の電球が点灯する夕暮れどき、地元の初老の男と会話する。

 

男も昔、執事をしていたということで、話がはずむ。

 

そして、その男が、最後に、こんなことを言う。

 

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。

脚を伸ばして、のんびりするのさ。

 

夕方がいちばんいい。

わしはそう思う。

 

みんなにも尋ねてごらんよ。

夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」

 

 

 

さらに、

訳者あとがきに、こんなことが書いてある。

 

主人公の父親が石段で転倒するときの描写が、

まぎれもなく夏であり、summerと書かれてあった。

 

しかし、ダーリントン・ホールで開かれる国際会議は、3月となっている。

ここに時間的な矛盾がある。

 

そのことを、イシグロ氏に問い合わせてみた。

 

「手抜かりがあった。ついては、summerの語はsunnyに直してほしい」

 

と返ってきたという。

 

それで、訳者は「夏」を「ある晴れた日」に変えた。

 

傑作にも、こうした間違いがあるということだ。

 

 

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